母親/自分の人生/思考
私の現在の考え方や振る舞いは、母の影響を大いに受けていると感じている。
見た目がそっくりであることもきっと影響しているのでしょう。
ほんとに父親と全然似ていなくて、並んだ写真は会社の上司とのツーショットのようです。
顔は似ているのですが、体は小さく目がすごく悪い。
もともと、目は悪くなかったのですが、医療ミスで目のレンズがゆがんでしまい、牛乳瓶の底のような眼鏡をして生活しています。
たぶん、頭の悪い人ではないと思うのだけれど、教室の最前列でも黒板の文字がよく見えなくて、全然授業についていけなかったそう。
今、私が母親の親だったらどうにかしてあげたかったと思うくらいですが、そんなエピソードを笑って話てくれます。
ただただ優しい
そんな母がどんな人間かというと、ほんとにお金儲けに無頓着で、ただただ優しい。ボランティアでなんでもやってしまう。
荷物の積み下ろしで困っている人を見たらつい手伝ってしまう。
たまに実家に帰った時、そんなことまでやっているのかとびっくりすることがある。
ボランティアで歌を歌いに行っていたり、こども食堂をやっていたりしている。昔から地域の活動は当たり前のようにやっている。みんな忙しいからと言っていつもそんなことをやっていた。
人の話を聞く
自分はこんなにできない。でもあなたはすごいと、話を聞いては褒める。
たぶん、私の人の話を聞く姿勢は母から受け継いでいるのだと思う。相手の話を聞くことは、得意なのだと思う。
そこに、自分のストーリーを入れるのが苦手なのだと思う。人間関係を深く作れない原因はそこにあるように思う。自分の中に、自分のしっかりした輪郭線を描けていない。
考える力
自分で考えて結論を出すのは苦手なようだ。数字が出てきたり、法律やお金が絡んでくると、考えるのを放棄してしまう。付き合いのある人が言ったことを正しい事として、そのままやってしまうところがある。
〇〇さんが言っていたから正しい。
私が新卒で入った会社で、同じような言い方で上司に報告したらひどく怒られた。自分が知らないことだし、先輩や詳しい人に聞いたことを根拠に報告すればよいと思っていた。それじゃあ、前田がやっている意味がないだろ。
今考えれば、ほんとに私に自分の頭で考えて結論を出すという習慣があまりなかったし、その力も無かった。学生の頃は、ある程度正解があった。そのぼんやりした理解が、世の中に正解があると私に錯覚させていたように思う。
自分で考える力がないと、大人になって道に迷うことになる。正解なんてないし、ぼんやりしている間に、どんどんと年月は過ぎて行ってしまう。
今、やっと地べたまで落ちてきたように思う。やっと自分の実力の位置まで来たように思う。もう落ちるところはない。自力をつけて解決するしかない。